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by psychiatrist / contributor for Cookie Scene music journalism publication since 1997 to2009. web magazine launched in 2010.

スキゾイド 3

  ユングの心理学では 「自分=自我、つまり意識」。それに対して「世界=自己、つまり無意識」 という対の概念がある(対立概念ではない)。

  自我は「今感じている自分」だ。それに対して自己とは何か。ユングは講演で聴衆に対してこう説明したという。「例えば、今目の前にいるあなたたがたは「私にとっての自己」です」と。つまり誰もが、世界全体とつながっており、世界は無意識とつながっている。

  「無我の境地」とは無意識へと沈み退行することであり、自分が世界と合一することである。それを創造的な「無為」と呼び、幼児退行のような病的退行とは区別される。退行を創造的なものにするためには、本人の意思の力とともに周囲のサポートが必要になる。それがあってこそブッダは人を救える。彼らに出会うとき、民衆はブッダ自身であり、ブッダは民衆自身になる。そういった力を中途半端に身につけて、悪用すればヒトラーのような悪のカリスマになるのかもしれない(もちろん彼らも最初は純粋に民衆のためを思っていたのだろうが)。

  トリックスターとは人でありながら無意識の宇宙と合一し得る存在と定義する。だからこそ転び方次第で神にも悪魔にもなり得る。もしも彼らが「自分は人と違う」ことで苦しみ、他人の気持ちを理解しようと努めれば彼らはブッダのような人物になる。「自分が人と違うのは自分がエリートだから」人々を攻撃し屈服させる権利が俺にはあると思った瞬間、彼はヒトラーになる。  


  ひとの心の中にこそ異次元があり世界がある。そこにはもう一人の自分がいる。ある種の作家達は共通して、そのことを描いた。ラブクラフトが描いた底知れない恐怖のように。それはトム・ヨークが歌うピラミッドソングの海にも似ているかもしれない。来るべき終末。トム・ヨークは東洋思想に関心を示し作品に反映させた。「神も悪魔も全ての失敗も恐怖も、自分自身の内にある」

 例えば日本神話は古(いにしえ)の土着の神々を受け入れている。その中には、様々な世界中の神々類似の存在も混じっていたのではないか。一方で島国、日本の文化は、対人恐怖症の多さ、収集癖や完璧主義の強迫症も特徴。その文化傾向は隣の中国とは異質だ。人々の外見は似ているのに。また日本はアニメ、漫画大国でもある。ファンタジーや妄想との親和性が強い民族なのかもしれない。

 ところで現代社会に広がっている「相手を理解し得ないという病い」。それは自閉症スペクトラムと密接な関連がある。人と異なるからこそ、相手を理解しようと努力する人々と、相容れないからこそ、徹底的に破壊しようという人々がいる。その欠落が本質的な理解への希望につながるか、絶望的な断絶につながるのか。それは私達ひとりひとりの選択。

 

 

  by Toyokazu Mori(森豊和) mail sync4@i.softbank.jp

 

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