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by psychiatrist / contributor for Cookie Scene music journalism publication since 1997 to2009. web magazine launched in 2010.

REVIEW Edwyn Collins - 包容力と生命力とユーモア -

 2013年春、元Orange Juiceの中心人物Edwyn Collinsが新作発表に伴う英国ツアーを行った。「みんなパンクロック好きのやんちゃ坊主だよね!」とファンに向けて情熱的に呼びかけながら。
 生命の危機を乗り越えてステージに復帰した今だからこそより響く言葉だ。新作はかつてのような派手なギミックはなく、シンプルに削ぎ落され自然な躍動感、ワクワクに満ちている一周回って原点に帰ったようで決してそうではない。年輪を重ねた今の彼が反映されている。そう、「病を乗り越えて家族とともに生き続けること」について彼の不屈の精神が聴ける!
 様々な要素を取り入れてポストパンク以降のミュージシャンに大きな影響を与えた彼の音楽性は、そのまま彼の人柄に直結しているのかもしれない。包容力、生命力、何より不屈のユーモア。日本の一部のインディーロック界隈でネオアコの復権が叫ばれている今こそ、彼の業績を捉えなおす時期だと思う。

 彼は2005年脳出血に倒れた。右半身マヒに加え話すこともままならない状態から、半年以上リハビリを続け、2011年9月には奇跡の来日公演が実現した。新作からの曲に加えOrange juiceの名曲も披露。「A Girl Like You」では杖をつき立ち上がっての熱唱。病み上がりなんかでは決してない迫真のパフォーマンスを見せた。本編終了時には妻のGraceさん達が歩行がおぼつかないEdwynを迎えに行く姿も。アンコールの「In Your Eyes」では息子Will君とデュエット。歌う息子を見守るEdwynのまなざしはとても暖かいものだった(補足だがこの来日公演は2011年3月末に予定されていたものの震災の影響で延期、再調整されたものだった)。
                      
 彼は90年代半ばにこう語っている。「僕はポップスターじゃない。常にクリエイティブでありたいと思っているただのミュージシャン。僕のモットーは人々の頭を混乱させること。僕はあらゆる種類の音楽が好きだ。例えば古いソウルだけじゃなく最新のヒップホップも聴く。ラップの内容には興味ないけどサウンドが素晴らしい。80年代のテクノロジーは冷たいメタリックなサウンドを招いた。僕は全ての楽器がすぐそこで鳴っているような、空間を生かしたあたたかい音作りを意図しているんだ。」
 EdwynはOrange Juice時代からジムフィータス、デニスヴォーベルらと関わりダブ、インダストリアル等の当時の革新的な音作りに関心を示す一方で、幼年期のルーツであるビーチボーイズ ビートルズ、さらに伝統的なR&Bの音作りも志向していた。こういったスタンスはTame ImpalaやFoxygenといった新世代ミュージシャンにも通じる。PCの発達に頼った現代の宅録ミュージシャンに対する警鐘としても十分機能する。

 更なる理解のために伊藤英嗣氏によるOrange juiceのライナーノートから引用する。
「70年代末、ポストパンクは既成概念に縛られず、あらゆる価値観に疑問を持った。しかしIan Curtisの自殺に象徴されるように、否定の連続はすぐに逃げ場のないどん詰まりに行き当たった。一方でOrange juiceはポストパンクの精神を受け継ぎながらも単なる否定に終わらなかった。全ての存在に疑問を、怒りを抱きながらも、なお自分が生きていることを受け入れる姿勢を示した。徹底して自らの感性に正直であろうとした。過激なものもポップなものも自分が本当にいいと思ったものを一切の偏見なしに取り入れていった。ポストパンクは普通の気持ちよさを意図的に排除していたがそれさえ導入した。ジャンルの区別、過去、現在、未来の区別なく。」

 そんなEdwynからの影響を公言するアーティストも多岐に渡る。Belle & SebastianSuedeのバーナードバトラー、前作に参加したDrumsやFranz Ferdinandらは彼をリスペクトしているし、Smithsのジョニーマーはデビュー前にOrange Juiceのライブに通っていたという。またRadioheadのフィルセルウェイはLoosing sleepを2010年のお気に入りアルバムとして挙げていた。勿論Edwynがプロデュースしたクリブス、リトルバーリー、チャーリーボイヤーの名も忘れてはいけない。そう。彼の影響力は現代のUKシーンに今なお咲き誇っている。
 
 最後に疑問を投げかける。「仮にポストパンク/ネオアコースティックが最新技術を用いて伝統的な音楽を時代の音として再生する試みだったとしたら、一部の若手バンドがしているように80年代にできた型を現代でそのままコピーすることは意味があるのだろうか。」(余談であるが、ある日本のミュージシャンは「フリッパーズギターの精神を正しく受け継いだメジャーアーティストは氣志團だけだ」と語っている)

 しかしEdwyn本人はそんなこと気にしないかもしれない。音楽スタイルの表面だけすくいとってもそのほうが心地よいリスナーもいるかもしれない。もちろん彼の精神性を受け継いで全く別のものを生み出すのもいい。何より生きて何かを成し得るだけで素晴らしいと彼は言うだろう。どっちにしたって俺の曲を聴いてくれたんだろ?嬉しいよ。

 80年代のポストパンクがあらゆるものを否定し、普通の気持ちよささえも否定したことは、仏教における「体を痛めつける苦行」に相当しないだろうか。無理にそんなことしなくても我々の人生は往々にして苦難の連続なのに。その果てにあるEdwyn Collinsのたどり着いた現在のシンプルな音。それは「ミルク粥が美味しい」と気付いたお釈迦様の境地に似ているのではないかと私は妄想する。

 

 

  by Toyokazu Mori (森豊和) mail sync4@i.softbank.jp

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